都市問題 2013年 08月号 [雑誌]

都市問題 2013年 08月号 [雑誌]

本日は,同誌の「特集2自治体の広報・広聴」.広報・広聴制度は,自治体が住民との間での情報調達・摂取手段としては重要であることは間違いない.一方,研究面では,明らかに下名の勉強不足のためではあるものの,余り多くの関心からは熱心に分析されているようには思わなくもない.何れの論攷も大変勉強になる,同誌の同特集.
曽我謙悟論文では,TwitterFacebookを利用する自治体の特性を計量分析により明らかにする.分析結果の一つは次の通り.つまり,「媒介の情報やコミュニケーション手段としての特性に応じて,特徴的な自治体がこれらを利用するというよりも,基本的には人口規模が大きく,財政的には余裕がないところが利用する傾向」(51頁)にある,という.本稿がにべもなく言うように「フェイスブックツイッターを利用することそれだけで,自治体のあり方が大きく変わるといったことはない」(51頁)のだろう.技術決定論がとりがちな「逆の因果,あるいは疑似相関を因果関係と見間違えている」(44頁)とすれば,まずは,利用する自治体の側が「変わる」ことが必要なのかもしれないと考えさせられた.
片山善博論文では,まず広報では,誰のための広報か,という問いを探求する.知事時代の広報誌休刊の経験,いじめ防止対策に熱心な市での相談窓口のホームページ上の案内方法,いわゆる「議会だより」に掲載されている情報の偏在を対象に,住民という「当事者の視点」(57頁)の不在を指摘する.次いで広聴では,広聴機能の運営状況は,「広聴部門が取り組んでいる業務内容を見るよりも,むしろ他の部門の日常の仕事ぶりを見た方が的確に判断できる」と述べ,「その点では,自治体の財政部門の体質や「生活習慣」がとりわけ重要」(60頁)とする.この指摘は,曽我論文から読み進めることで,広聴技術ではなく自治体,特に一つひとつの部門の習慣こそが重要であるのかもしれないと考えさせる.また,最後に本稿では「自治体の中で議会こそ広聴の中枢となるべき」(60頁)との問題意識から,議会の公聴会の「正常化」を提案する.
神原勝論文では,片山論文を引き継ぐかのように,自治体議会の「公開・参加」が「もっとも先駆的と評価」(63頁)されている,福島町(北海道)が紹介される.同町の「議会だより」の構成と同誌の総合計画への「大きな関心」(65頁)が特徴となる.ただ,本稿では「議会だより」という「公開・参加」の手段の紹介には止まらない.「優れた議会活動なくして優れた議会情報なし」(70頁)と端的にまとめられているように,曽我論文,片山論文にも共通した問題意識である,広報・広聴技術ではなく自治体(議会)側の問題である,という印象を強く感じる.
三木由起子論文では,自治体のパブリックコメント制度の整備と運用状況を分析する.例えば,四街道市の同制度の運用分析からは,「パブリックコメント手続は,意見の聴取という点からはあまり機能せず,身近な目に見えるまちづくりの意見が活発」であること,そのため「パブリックコメント手続だけでは市民参加としては十分とは言えない」(77頁)と述べる.「多数決でなく修正できる意見を取り入れる仕組み」(78頁)であるパブリックコメント制度を通じて「行政が行なう立法行為への民主的な統制」と「行政過程への市民参加」(78頁)という二つの課題解決に関わるためには,行政側のみならず,議会の役割が必要であることを指摘する.
河井孝仁論文では,シティプロモーションを進めるうえでの,戦略構築,情報収集,魅力創造の三点から概説する.
各論攷とも,現代の自治体(議会)の広報・広聴の現状が目に浮かぶ内容であり,特集としても一筋の問題意識が貫徹されているようでもある.講義のなかでも,各論攷を咀嚼したうで広報・広聴論を話してみたい気持ちになる.そのためにも曽我論文で仮説導出の論拠となる次の指摘は,なるほどと思いました.

自治体の発信する情報において,正確性は重要である.迅速性とのトレードオフを前に,正確性を犠牲にしてでも迅速に発信すべき情報というのは,自治体の場合それほど多くない.また,自治体業務の多くは,継続的なルーティン活動が多く,毎回その内容が変化するようなものではない.こうした業務について,高い頻度で情報発信が可能となることの意味はあまりない.」(47頁)