一宮市役所北館で二日、全国の市庁舎では初めて昭和初期に導入された「対面式カウンター」の移設工事があった。来年三月に完成する市役所新庁舎に一部を再利用する。“市民に開かれた市役所”の先駆けとなった設置当時の姿は見納めとなった。
 北館の建造は、国登録文化財名古屋市役所本庁舎より三年早い一九三〇(昭和五)年。当時の行政庁舎は個室が並ぶ構造が主流で、市民は部屋の入り口にある受付で職員と接していたが、一宮市はいち早く窓口業務の部屋割りを廃止。市民と職員が接しやすいカウンター方式を取り入れた。
 カウンターは北館一階にあり、一部は撤去、加工されたが、建造当時の姿をとどめていた。天板部分は天然大理石。二〇〇八年に建築史学会が保存を要望するなど惜しむ声があり、市は天然大理石の階段手すりなどとともに一部を新庁舎に移すことを決めた。カウンターの天板は、新庁舎で市民が申請手続きに使う記載台に再利用される。ただ、天板以外は移設されず、「台の高さを含め、一体でこそ価値がある」との声もある。工事では、作業員がのみを打ち、保存状態の良い六カ所のカウンターの天板を慎重に剥がした。見守った市職員は「新入職員のころ、カウンター越しに市民と接していた。いよいよ無くなるんですね」と名残惜しそうだった。(安福晋一郎)

本記事では,一宮市における「対面カウンター」の移設工事の取組を紹介.
同市の昭和5年の竣工された庁舎のなかにある「1階の受付窓口」は,本記事でも紹介されているように,「日本で最初のカウンター方式が取り入れられた場所」*1となる.本記事では「対面カウンター」が整備されるまでの経緯の紹介はたいへん参考になる.例えば,「当時の行政庁舎は個室が並ぶ構造が主流」であったこと,そして「市民は部屋の入り口にある受付で職員と接していた」ことなど,2013年11月2日付の本備忘録で記録した中世西ヨーロッパの市庁舎での個室主義の淵源に大部屋主義があったことの対比として,大部屋主義の淵源には個室主義があったこと,そのため「窓口業務の部屋割り」制を採用していたことが推察することもできそう.「天板以外は移設され」ないことは,残念.
とはいえ,このように「早くから市に開かれた自治体を 指していた」経験を踏まえて,同市が建設する「新庁舎では執務スペースのオープン化はもちろんのこと」「一般に開放可能な会議室を設置」*2するという.「住民本位の配慮や工夫」*3としても,興味深そう.