自立する直島―地方自治と公共建築群

自立する直島―地方自治と公共建築群

 先週,直島を訪れた.直島では見なければならないものがある.一つは,「豊島問題」といわれた産廃処理を引き受けた三菱マテリアル.二つめは,ベネッセハウスや地中美術館,家プロジェクトのようなアート.いずれも島の外から引き入れた直島にはもう一つ見なければならないものがある.それは,直島建築とよばれる公共施設である.今回の訪問では後者2つを主に見た.
 宮浦港から,借りた自転車で坂道を登りきった先に直島小学校がある.最も初期に建てられた直島建築だ.坂道での疲れも忘れてしまうように目を奪われる.下りとなった道を自転車の速度をあげながら進むと,直島町役場が現れる.洋風でもあり現代風でもあり,また,帝冠様式のようでもある.強烈な個性がある庁舎.素直にそう思った.
 なぜ,このような庁舎となったのか.それを知りたくて,東京に戻った後,本書を読む.周辺には,400年あまりの古民家がある.さらには,近隣の八幡神社極楽寺は長くあり続ける.「古い集落をよく見せるのも,みじめに見せるのも,役場次第」(183頁)との判断から,和風で建築しまちの調和を考えたようである.しかし,現代的でもある.和風が現代的になると「帝冠様式のゴツサ」(186頁)がでる.そこで,「数寄屋」としての飛雲閣の意匠が採用される.
 庁舎の個性は,外観ばかりではない.庁舎に入ると執務空間と窓口がある.まるでホールのような広い空間で,緩やかに湾曲する長いカウンターも特徴的であった.これも,「庁舎建築の中で,一番住民が接触するところというのはカウンターであり,カウンターさえしっかりつくれば,あとはどうでもいいということ」(189頁)をいう考え方を見えるようだった.
 本書でなるほどと思った箇所は,著者の次の指摘.今回は,建物を見て回るだけの訪問.実際の空間利用が「庁舎機能の範疇を超え」ているのか,ぜひ機会を改めてもお話を伺いたい.

私は公共施設計画は全人格的な投影に入ってきたと思います.近代化という意味が前近代的なものを否定して成立する西欧ショックの時代が終わったからです.教育施設づくりは単なる教育を超え,役場づくりは単なる庁舎機能の範疇を超えてきたと思います.」(241頁)