小林眞八戸市長が可能性を指摘している八戸、二戸、久慈三市を軸とした三圏域による県境合併について、青森、岩手両県知事が三十日、それぞれ初めて言及した。三村申吾青森県知事は一般論として「さまざまな選択肢として検討することはある」とし、一定の理解を示した。達増拓也岩手県知事は「合併というのは法律上の問題で、国の意向も出てくる」と述べ、現段階では地域間の連携を優先させるべき―との考えを明らかにした。
 県境合併をめぐっては、小林八戸市長が本紙取材や会見の場で、将来的な道州制の導入を視野に、歴史的につながりがあり、経済や人的交流も盛んな三圏域による合併の可能性を指摘していた。青森県庁での定例会見で、三村知事はかつて自身が旧百石町長を務めた経験に触れながら、「それぞれの地域住民にとって、より良い選択になるのであれば、さまざまな選択肢として(県境合併を)検討することはあると思う」と述べた。達増知事は、久慈市での「移動県庁」後の記者懇談会で、「県境というのは国が決めた話。協力や連携の実態は、県境にとらわれずに進めても良いと思う」としながらも、法律上の問題などから、現在、三圏域が取り組む連携事業をさらに充実・強化させていく必要性を指摘した。一方、達増知事は三圏域の観光や産業の振興に向け、小林市長との意見交換に意欲を表明。「八戸は大きな都市。連携することで、岩手県北での体験型、教育型観光との組み合わせによる効果や、産業振興の面でも活性化が期待できる」と述べた。達増知事の“呼び掛け”に対し、沖縄県に公務出張中の小林市長は本紙取材に対し、「達増知事の発言には共感できる。私としても、機会があればぜひ意見交換したい」とのコメントを出した。

同記事では、八戸市が提案していた越境合併構想*1に関して、青森県岩手県の両県知事からは好意的な意見が提示されていることを紹介。
八戸市久慈市二戸市の三市長間では、2006年7月より懇談会を設けて、相互連携による地域振興を図ってきた*2。また、八戸市といえば、歴史的経緯からか、青森県内でも旧南部藩領域又は八戸藩領域での連携の強さは共有されてきている。これら実態面、認識面での区域と行政区域の不一致に対しては、これまでのマッチング手法としては、越境合併を行うこととなる。その場合、合併によって出来た新たな自治体が、何れの県に属するかが問題となる。これに対する法制面での手続上は、関係する自治体からの申請後に総務大臣により定められる(地方自治法第7条3項)ものの、実際には申請に至るまでの両県間の結論次第であり、いわゆる「拒否権」は、各々の市にではなく各県側にあるともいえる。そのため、同記事では、両県知事が好意的な意見を示していることは、越境合併の流れにも棹をさすというものでもあり興味深い。両知事の好意的な意見であるのは、現在進められている「北東北」での広域連携実績が反映してか、又は、当該地域における歴史的一体性を現在では否定できなくなっているのか、はたまたマルクス・アウレーリウスが述べるように「息や物質のごときものは、感覚もなく、相互間の絆もないが、それでもなお知力および同じ中心に向かって牽引する重力によって結合されている」*3からなのか、種々思いが馳せる。
もちろん、合併のみが手法ではない。人口30万となれば、「定住自立圏構想」にいう、高次な都市的機能をもつ「中心市*4でもある。多極分散のまま「合併なき定住自立圏構想」としてのモデルとなる可能性も秘めているのではないだろうか。

*1:デーリー東北新聞社(2008年4月30日付)「「3圏域で県境合併を」 小林八戸市長(2008/04/30)

*2:八戸市HP「三圏域連携懇談会

*3:マルクス・アウレーリウス『自省録』(岩波書店、2007年)242頁

自省録 (岩波文庫)

自省録 (岩波文庫)

*4:定住自立圏構想研究会『定住自立圏構想研究会報告書』(2008年5月)8頁