旧有田町役場だった有田町東庁舎が30日、閉庁した。旧有田町にあった税務課など4つの課は7月1日から本庁舎(旧西有田町役場)に移り、建物は一部を残して解体する。閉庁式はあいさつだけで特別なセレモニーはなく、1958年に建設された半世紀の歴史にひっそりと幕を閉じた。
式では町職員約50人が見守る中、岩永正太町長と田代正昭議長があいさつ。岩永町長は「歴史をかんがみて、寂しさ以上のものがある。今後はこの場所がまちづくりのために生かせるように町民みんなで考えてほしい」と述べた。現在の庁舎は解体する予定で、3棟のうち東別館だけは残し、住民票の交付など「窓口機能」引き続き行う。解体した跡地の活用は、地元住民らでつくる検討委員会で議論している。合併時には当面は分庁方式で、新庁舎の建設を視野に入れ、審議会に諮っていた。しかし、審議会は町財政の逼迫(ひっぱく)を理由に本庁への業務一元化を答申、町は2007年11月に旧西有田町役場への一元化を決めた。

加古郡荒井村から高砂市に合併された同市荒井地区で、地域のつながりを深める拠点となる「よってこ村・荒井」が二十九日、村開きした。合併から五十四年ぶりに“復活”した村役場で開村式が開かれ、地元住民ら約二百人が出席。世代を超えた交流を目指す「新たな村」の始動を喜び合った。(宮本万里子)
 「よってこ村-」は、かつての村をモデルに、まちづくりを進めるユニークな試みで、県の県民交流広場事業の助成を受けて運営。既存の団体や世代の枠を超え、播州弁で「寄っておいで」「寄って行こう」を意味する「よってこ」という気軽な感覚で人々が集まり、近年薄れつつある地域の連携回復に取り組む。「村民」は市立荒井小学校区の約四千世帯。地元のごみ焼却炉メーカー「タクマ」播磨工場の厚生施設を無償で借り受けた村役場を拠点に、村長や七人の大臣がまとめ役となり、「よろず相談」や交流行事を展開する。村開きは、旧荒井村が解村式を行った六月三十日の前日に当たるこの日に決定。開村式では、地元の市立荒井保育園の園児が似顔絵で彩った村の看板が村役場敷地の入口で除幕された後、環境保護を表す緑と情熱をイメージした赤の二色で、よってこの「よ」と荒井の「荒」の文字を組み合わせたデザインの「村旗」が、高さ約十メートルのヒノキの柱に掲げられた。式後、アコーディオンなどを手にした「高砂ちんどん明楽堂」が華やかに音楽を奏でながら、街頭パレードに出発。役場では早速、ボランティアによる絵本の読み聞かせを子どもらが楽しみ、ジャガイモを揚げた懐かしい菓子も振る舞われた。村長の加納久司さん(71)は「輪が広がり、子どもの明るい声が響くまちにしたい」。主婦の豊田朱里さん(33)は「二人の子どもと足を運びたい」と笑顔で話していた。

両記事では,庁舎をめぐる様相を紹介.第一記事では,有田町では,市町村合併後の庁舎利用の方法を再検討した結果,旧有田町役場を「閉庁」し,本庁への一元化を図ることを紹介.これにより,50年間の「役場」としての役割の幕を閉じる.第二記事は,高砂市において,同市の荒井地区に地域交流の拠点施設として「よってこ村・荒井」を設置したことを紹介.旧荒井村の同市への合併以来,54年ぶりの「村役場」設置となる.
庁舎とは,新旧が時系列に並べられた*1記憶と忘却のなかで,時折眼前に現れ,そして静かに去っていく「想像の共同体」.総務省に設置された「市町村の合併に関する研究会」が先般取りまとめた報告書によれば,1999年4月1日から2006年4月1日迄得に合併した558市町村では,その3分の1(186自治体)が分庁方式を採用したことが分かる.そして,地域特性から見れば,都市と中山間分の合併自治体が61.7%と,分庁方式の採用率は高い.*2.これは,同報告書にもあるように合併の問題点とされる,「役所は遠くになり不便になる」がその主要な要因(92.6%)とされる.庁舎は,「遠きにありて思ふもの,そして悲しくうたふもの」では決してなく,「近きにありて通ふもの そして楽しくつどふもの」との考えからの措置であろう.ただ,第一記事にもあるように,市町村合併後の自治体動向を観察すると,当初の思いを抱きつつも,その想像の共同体の姿もまた,移り変わっていく.

*1:ベネディクト・アンダーソン『増補想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行』(NTT出版,1997年)312〜313頁

*2:総務省HP・市町村の合併に関する研究会『『平成の合併』の評価・検証・分析』(2008年6月)37頁