オーケストラの経営学

オーケストラの経営学

9月16日付の本備忘録で見た,映画「おくりびと」では,本木雅弘が演じる主人公・小林大悟が奏者を勤めるオーケストラが解散し,チェロ奏者という職を失うことからお話が始まる.同シーンを見ると,オーケストラとはこうも簡単に解散するものなのか,そして,主人公を除く奏者達も奏者達で,解散するオーケストからは,躊躇いもなく次のオーケストラに移っていくものなのかと思った.本書は,そんな疑問に対する理解を助けてくれる一冊.
本書では,オーケストラを「プロフェッショナル」(78頁)集団から構成される組織として捉え経営学的な視角から分析したもの.特に「フラットな組織」(3頁)であるからこそに生じるマネジメント上の課題を,下名のような当該組織には全く不案内なものにも,分かりやすく解き明かしてくれる.「およそ2.5市町村に1つの割合でオーケストラがある」(34頁)我が国では,そのオーケストラを運営・維持することが課題.定期公演のみならず,依頼公演,そして「スリッパ音教」(39頁)等を通じて活動財源の調達を図り,例えオーケストラの奏者達は給料には「あまり気にしない」(49頁)とはいえ,その結果,「赤字なのに存続する」(89頁)現状にある.
本書では,資金調達の形態から,公共部門からの補助金が中心となるフランス型,民間企業からの助成金が中心となるアメリカ型,そして,何れでもない(何れからも過小である)日本型に分類されており,三カ国比較からも我が国の場合には資金調達の弱さがあるとの認識に立ち,財源基盤強化方策としての「外部マネジメント」(96頁)が必要とする.個人的にも本書で最も興味深く拝読した箇所は,この「外部マネジメント」について分析した「第四楽章」(95〜120頁).特に,「経営陣・プロフェッショナル(演奏家)・顧客という三者間」(105頁)で生じる,「演奏の質の向上と利益のトレードオフ」(99頁)関係,「人件費と演奏の質の安定のトレードオフ」(100〜101頁)関係,「仕事量と演奏の質の安定のトレードオフ」(101〜102頁)関係,「顧客ニーズと楽団員のモラールのトレードオフ」(102〜103頁)関係,「演奏レベルと顧客レベルのトレードオフ」(103〜104頁)関係の抽出は明晰であり,プロフェッションを抱える組織の難しさを考えさせられる.
本書では,財源基盤の安定化のためには,現在の日本の実情を踏まえると「アメリカ型を目指す以外に方法はない」(110頁)として,そのためにも,オーケストラ組織の「外部マネジメント」方策をも提案する.具体的には,まずは「ファンを創る」(110頁)ことにあるとされ,「顧客への徹底したマネジメントによるトライアル層の拡大」(111頁),「トライアル顧客をコア顧客として定着させること」(112頁),「コア顧客をオーケストラの存続と発展を願う寄付者にすること」(112頁)の三段階を提案している.これらの三段階のうちでも,第一段階目は重要となり,旧来オーケストラが採っていた「従来どおり顧客の囲い込み戦略を重視」(116頁)することよりも,「まずトライアル顧客の拡大を図るためにハードルを低くすることが不可欠」(116頁)とある.これにより,「リピーター層の定着と,リピーター層への移行の誘導」が課題となる.
このような外部マネジメントの拡大のためにも「オーケストラがパフェーマンスの質を向上させ,組織の付加価値を高めていくことで聴衆との信頼関係を確立する必要がある」(120頁)とし,「内部マネジメント」の重要性も分析する.特に,オーケストラがプロフェッショナル組織であるがゆえに,「楽団員同士のセルフ・マネジメントを促し,演奏家のコラボレーションが可能となる方法を選択すべき」(170頁)とする.素人ながらに我が国の場合,セルフ・マネジメントはともともかく,コラボレーションには強みがあるのかとも思いきや,同書によると「お互いの音を聴き合ってハーモニーを創っていくという意識がどうも低くなっているようにみえる」(158頁)との観察結果から,むしろ,コラボレーションの問題を抱えていることを指摘されている.そして,このコラボレーションをもたらすためにも,「顧客満足演奏家満足がスパイラルに増幅」(187頁)することが必要とされ,そのためにも,上述の「外部マネジメント」にも結びつくという.
佐藤郁哉先生の名著『現代演劇のフィールドワーク』にて分析された「芸術表現上の自律性の確保と活動自体の維持・発展にとって必要な経済的基盤の確立という二つの目標を追求しようとする」ことによって生じる「自律と依存のパラドクス」*1を解くための思考方法を,オーケストラを対象に実践的な方法も含めて,広く一般向けに論じたともいえる本書.(専門的)組織の自律と依存は,広く組織・機構を観察する上では不可欠なテーマ.同著者は『オーケストラのマネジメント』*2という著書を2004年にも公刊されているようであり,未読のためこちらも拝読したい.

*1:佐藤郁哉『現代演劇のフィールドワーク』(東京大学出版会,1999年)14頁

現代演劇のフィールドワーク―芸術生産の文化社会学

現代演劇のフィールドワーク―芸術生産の文化社会学

*2:大木裕子『オーケストラのマネジメント』(文眞堂,2004年)