福島第1原発福島県大熊町双葉町)の事故で、双葉町の住民約1500人が19日、避難先のさいたま市さいたまスーパーアリーナに移った。同町は町全体が避難指示区域に含まれ、役場の一部機能も移す「自治疎開」となった。
 町民はバス約40台で移動し、午後にアリーナに到着。毛布や衣類の入ったかばんを抱え、施設に入った。アリーナは埼玉県が一部を避難所として開放し、既に福島県茨城県の避難者計約900人を受け入れている。
 双葉町の人口は約6900人。原発1号機の水素爆発を受け、町は12日に約40キロ北西の川俣町に行政機能を移し、町民は7カ所の避難所に身を寄せた。事故の状況が悪化し、県外移転を決めた。井戸川克隆町長(64)は「災害対策本部も近く移す。町民の暮らしを守るのに精いっぱいで今後のことは何も決まっていない」と話した。祖父母、両親の計5人で避難した浪江高3年舘林徹君(18)は「これで4度目の移動。頭や目が痛く、もう動きたくない」と話した。
 福島県によると、南相馬市の住民が新潟県燕三条市、広野町の住民が埼玉県三郷市に避難するなど計1万6000人以上が県外へ脱出した。楢葉町いわき市に移った約600人を会津美里町に再避難させ、飯舘村も約2000人が栃木県鹿沼市への避難を始めた。

本記事では,さいたま市において,双葉町民の皆さんとともに,「災害対策本部など」*1の「役場の一部機能」の移転の受入について紹介.
2010年3月19日付の埼玉新聞を拝読させて頂くと,「全町民約6900人のうち約2200人」が「同県川俣町の避難所6カ所に分かれて避難」されており,「災害対策本部をはじめとする町の機能も全て川俣町に移転」されていたなか,同町長は「住民と行政が1カ所に集まった方が効率的と判断」され「同県外の数カ所に受け入れを打診」*2がなされており,これに対して同県では,2011年3月20日付の毎日新聞によると,「福島県側から全国知事会を通して要請を受けて」*3て,「18日,双葉町の要請を快諾」*4し,受け入れを開始.
総務省における「各都道府県HP情報より総務省」が作成された「各都道府県の被災者受入態勢・状況(一時避難場所)」*5に加えて,2011年3月19日付の共同通信の配信記事を拝読させて頂くと,同社の調べでは,「18日夜時点」で「受け入れの方針や実施が確認できた自治体は約360」*6.「自治体間の横」*7の「緩やかなつながり」*8に留まらない,堅固なつながり.

*1:時事通信(2010年3月19日付)「原発立地の双葉町、役場機能も移転=住民5分の1、さいたまアリーナに

*2:埼玉新聞(2010年3月19日付)「原発の町から集団避難 福島・双葉町、アリーナに1200人 役場機能も近く移転

*3:毎日新聞(2010年3月20日付)「東日本大震災:福島・双葉から集団避難 町民1200人、埼玉到着

*4:前掲注2・埼玉新聞(2010年3月19日付)

*5:総務省HP(重要なお知らせ平成23年東北地方太平洋沖地震:地方自治体等による支援について(3/18 21時更新))「各都道府県の被災者受入態勢・状況(一時避難場所)(3月18日(金)現在)

*6:共同通信(2010年3月19日付)「3百超の自治体が被災者受け入れ 北海道から沖縄まで

*7:田口一博「自治体間の横の連携」森田朗・田口一博・金井利之『分権改革の動態』(東京大学出版会,2008年)154-155頁

分権改革の動態 (政治空間の変容と政策革新)

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*8:西川一誠『「ふるさと」の発想』(岩波書店,2009年)136頁

「ふるさと」の発想―地方の力を活かす (岩波新書)

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