陸前高田市は20日、同市高田町の市学校給食センター北側に市役所仮庁舎を開設した。ほぼ全壊の被害を受けた市役所庁舎の機能を代替する。
仮庁舎は1階建てのプレハブ6棟を連結した事務棟と市民待合室で構成。当面は死亡届の受理や埋火葬許可証などの交付作業に事務を特化し、順次、取り扱い事務を広げる。震災以来、市災害対策本部を置く給食センターで市の諸事務を行ってきたが、スペースが手狭になり、事務量も増えていることから、市民対応専門の窓口として仮庁舎を設けることを決めた。震災により、市職員296人のうち約80人が行方不明になり、死亡が確認された人もいる。市は国や県から応援を受け人員を確保、市役所機能を回復させる方針だ。戸羽太市長は「人員、サービスの幅ともに徐々に増強・拡大し、復興への体制づくりを進める」としている。
津波で役場が流された宮城県南三陸町は22日午前、プレハブの仮庁舎で業務を再開した。
プレハブは64平方メートルの平屋建て。コピー機やパソコンもなく、長テーブルやイスが並んでいるだけの簡素なもの。近く2階を増設するという。鉄筋コンクリート3階建ての旧庁舎は、骨組みだけを残し、がれきの中にたたずむ。早速、総務部門の担当者十数人が集まり、住民データの復元や、災害救助法の適用を受けるための事務作業に関する会議を開いた。持ち込んだ資料は段ボール1箱分だけ。情報収集管理班の三浦清隆班長は「役場本来の業務を始めないと復興につながらない」と話した。町は津波で家屋の約7割が破壊され、21日午後5時現在、304人の遺体が見つかり、人口約1万7300人のうち、約9500人が避難所暮らしを続けている。
行政職員約130人のうち死者・行方不明者は36人。戸籍データは消失したが、法務局にバックアップされていることがわかった。町の行政機能がマヒしているため、避難所に手書きの「移動届」を残して町を去る人も少なくない。自らも津波に流され、役場の階段手すりにつかまって助かったという佐藤仁町長は「新しい町をどのように作るか、復興の一歩がスタートする記念の日だ」と決意を語った。
本記事では,陸前高田市及び南三陸町における仮庁舎の設置と業務開始を紹介.
「出来した事態は異常であっても,その対応はありのままに,平時の私たちの姿を映し出している」*1.なるほど,確かにそうとは考えられれども,災時のなかの「平時」の「姿」を表すためにも,でもまずは,それが仮の庁舎であっても,庁舎がそこにあることが,地域の住民,そして,自治体行政の「復興」*2への第一歩.
*1:外岡秀俊『地震と社会 下』(みすず書房,1998年)608頁
*2:越沢明『復興計画』(中央公論新社,2005年)鄱頁 復興計画 - 幕末・明治の大火から阪神・淡路大震災まで (中公新書(1808))