• 相澤隆「中世西ヨーロッパにおける市庁舎と自治」高山博・池上俊一編著『宮廷と広場』(刀水書房,2002年),253〜267頁.

宮廷と広場

宮廷と広場

本日は,同論攷.今週,神保町の神田古本祭りで並ぶワゴンのなかで同書を見つけ,読了.
執務空間の設え方は執務の営み方も規定する.行政学では定説のひとつとして論じられる.つまり,日本は大部屋主義であり,欧米は個室主義.執務空間で働く職員一人一人の職務は,日本は事前には概括的な役割分担に止まり,それ故に限られた人的資源で協力しあいながら業務を果たしていく.一方,欧米では事前の職務記述が明確に定まり厳密な役割分担のもとで働く.予め決めておくことは能率的である.しかし,予め決めておかないこともまた能率的である.行政学ではこのように学ぶ.
では,個室主義はいつからはじまったのか.この点は余り行政学では教えてくれない.中世ヨーロッパでの広場の歴史に沿いながら描かれた市庁舎の変遷を探求した本論攷を読むと,個室の起源を窺い知ることができそうだ.
14世紀までは「市政施設は商館建築のなかに収容」(256頁)されていた.その後,独自に庁舎建築が進められていくなかでも「何らかの経済的機能,とりわけ商業機能を兼ねた建物も多」(257頁)かった.新築された庁舎には二階建てが多く,二階には商品の取引所や商品倉庫のための部屋に用いられた.そして,「参審人会議や宴会が開かれる大広間」(257頁)が設けられ,「参事会などの統治機関の会議」(259頁)も開催された.
「法廷や祝典の間が,この大広間から独立した空間」をなし,さらに「行政委任がふえ,機構が拡大」した時代をむかえると庁舎の様相が一点する.つまり「個別の行政事務を行なう個室がならびはじめた」(259頁)のである.新たな個室の執務空間を設えることで,行政の専門分化に備えたのだろう.
しかし,興味深いものは,実はもう一つの空間の設えの流れである.それは,二階に設けられた大広間からの個室が派生した実例である.例えば,ドイツ・ザクセン地方のヴィッテンベルグでは「大広間のあった空間が類似の大きさをもった幾つもの行政執務室に区分された」(261頁)とある.つまり,個室の起源の一つには,旧来の大部屋にもあったようだ.
いずれも執務の営み方に規定された,執務空間の配置の遍歴ともいえる.新たな個室の整備から開始された実例もあれば,一その淵源には大部屋にもつものもある.中世の空間の設え方が「近世以降の市庁舎の典型的な建築形態を先取り」(261頁)し,その後の執務空間の設え方,さらには,執務の営み方をも規定しているのでは,とも考えられそうだ.ぜひ調べてみたい.
なお,広場との対比により庁舎の特性を論じられた次の指摘には,なるほどと思いました.

市庁舎は建物であるだけに,より作為的であり,建設者の意志が直接的に反映する.広場が使われ方に応じてその性格を変化させる融通性をもつのに対して,市庁舎は可変性がより少なく,初期の建設意図や使用意図が連続しやすいという性格をもっている.同じ広場が時代に応じて性格を変えることが多いのに対して,市庁舎は増築や大改築,さらには時代に適合するために多くの手間と費用を必要とするのはこのためである」(265頁)