走れ! 児童相談所

走れ! 児童相談所

三和県職員の里崎は,観光課に配属されて2年が経過した三月末のある日,来年度から同県の中央子ども家庭センターへの異動の内示が示される.里崎は「事務屋」(11頁)として,同県に入庁し,中央子ども家庭センターという,「聞いたこともないような出先」(10頁)になり,当然,「何の仕事をしているとこ」かも分からずに配属されることとなった.その同センターとは,つまり,児童相談所であった.
本書は,一人の「事務屋」が,「児童相談所」の「壮絶さ」(253頁)と「醍醐味」の「本質」(310頁)に直面しつつ,「着実に成長を続け」(251頁),児童相談所ケースワーカーとなるまでの,いわば,自治体職員版のビルドゥングスロマン.本書の物語自体自体は,主に里崎の視点から児童相談所という職場の風景を痛快なタッチで描かれてはいるものの,里崎が対するクライアントとのやや壮絶な各物語では,本書のモチーフの一つとも窺える,「どんな人間でも,条件が整えば,いつでも虐待者になってしまう」(236頁)ことを考えさせられる内容ともなっている.
そして,著者ご自身が「五年間児童相談所で勤務」(4頁)されたこともあってか,組織活動への内在的な眼差しに基づき描かれており,何よりも,児童相談所に勤めるケースワーカーの日常そして歳時記を具体的に描かれている.加えて,下名のような一観察者に止まる者にとっては,「街頭(street)において具体的な姿をみせる」*1の行政職員の活動様式を考えるうえでは得られることが多い.
例えば,「ケースの底流にある本質」(175頁)うえでの,「共感」を前提とする思考様式や,「共感」を具現化するうえで,例えば,クライアントへの「返し」(97頁)といった,「職人気質」的に「独自に経験的に身に付けた」(193頁)「独自のノウハウ」(61頁)などの職務技能,そして,「引継ぎは引継書じゃなくてクライアントごとに作ったケースファイル」(18頁)であることから始まり,クライアントとの職務を実行するなかでの「社会資源」(40頁)との連携や「法律を悪者」(235頁)とする執務風景や行動様式,そして,児童相談所が向き合う「親権の壁」(158頁)という課題等からは,まさに,ストリート・レベルの行政職員の思考様式と行動様式を学ぶことが出来る.
児童相談所ケースワーカーというストリート・レベルの行政職員が「共感」に根差した思考と行動は,見方をかえると,「応諾調達」*2による,いわゆる「クライエント支配」*3の一形態とも整理されることも可能ではあるものの,本書を通じて得られる,クライエントへの「ヒューマンプロセッシング」*4,いわば「人あしらい」において,その「同意」*5を,非常に丁寧かつ慎重に(時に大胆に)導き出される姿は,「支配」という概念がもつ片務的な関係性を越えたクライエントとの関係構築の姿をも読み取ることができ,自治体行政の観察のうえでは,誠に良書(大学の学部演習で読もうかなあ).

*1:田尾雅夫『ヒューマン・サービスの組織』(法律文化社,1995年)126頁

ヒューマン・サービスの組織―医療・保健・福祉における経営管理

ヒューマン・サービスの組織―医療・保健・福祉における経営管理

*2:田尾雅夫『公共経営論』(木鐸社,2010年)280頁

公共経営論

公共経営論

*3:前掲注1・田尾雅夫1995年:131頁

*4:桑田耕太郎・田尾雅夫『組織論 補訂版』(有斐閣,2010年)345頁

組織論 補訂版 (有斐閣アルマ)

組織論 補訂版 (有斐閣アルマ)

*5:マイケル・リプスキー『行政サービスのディレンマ』(木鐸社,1986年)89頁

行政サービスのディレンマ―ストリート・レベルの官僚制

行政サービスのディレンマ―ストリート・レベルの官僚制