自民党麻生太郎総裁は24日、事務担当の首相秘書官に総務省の岡本全勝官房審議官(78年入省)を起用する人事を内定した。首相秘書官に総務省の官僚が起用されるのは初めて。これまでは財務、外務、経済産業各省と警察庁の出身者で占められており、事実上の増員となる。
岡本氏は、麻生氏が総務相当時に交付税課長を務め、三位一体改革などで麻生氏を支え、信任が厚いとされる。岡本氏以外では、財務省の浅川雅嗣副財務官(81年入省)、外務省の山崎和之官房総務課長(83年入省)、経産省の柳瀬唯夫企業行動課長(84年入省)を起用する。内閣官房組織令では、首相秘書官の定員は5人までとされているため、警察庁から起用する室城信之企画分析課長(82年入庁)は「秘書官事務取扱」とする。政務担当の秘書官は、麻生氏の秘書の村松一郎氏(52)が務める。(了)岡本全勝(おかもと・まさかつ)、浅川雅嗣(あさかわ・まさつぐ)、山崎和之(やまざき・かずゆき)、柳瀬唯夫(やなせ・ただお)、室城信之(むろき・のぶゆき)。

同記事では,総理秘書官(事務)に,総務省審議官を任用することを紹介.人事慣行から見れば「サプライズ人事」.
総理秘書官(事務)の就任者は,財務省・外務省・経済産業省警察庁の「局長と課長との中二階」職の方が,基本的には着任し,「原則として総理が退陣する時は退陣する」*1職とされたのが,従来の人事制度運用の慣行.「官邸主導」とも評された小泉内閣期には,「内閣が重視する重点政策課題に沿って,秘書官出身者は弾力的に運用しても構わないのではない」との考えがあったとの政務秘書官の回顧がある.これは,具体的には,厚生労働省が念頭にあったともされるが*2.結局は,「古川副長官と相談して,将来的には総理秘書官を含め出身省庁については時々の政策課題に応じての差し替えありうべし」としつつも,連絡室参事官の整備をすることとなり,「総理官邸チーム」を設置した*3という回顧もまた残されている.孤独な総理を「影法師」*4として,身近で支える重要な職.ただ一方で,「極論すると出身省庁との連絡約」*5「総理大臣のまわりには,自前のスタッフと呼べるようなスタッフは存在しません」*6との観察結果も示されてもいる.今回の人事慣行を超えた「増員」対応により,結果としては,上記の「ありうべし」が実現したことにより,いわば「小泉政権の遺産の継承」になったともいえる.長の補佐職の制度の継続性と変容を観察する上では,興味深い事象.
なお,蛇足.同職就任にあたり,『地方財務』に「大連載」中の「行政構造改革―日本の行政と官僚の未来」はお休みされるのか,そちらも個人的には気になるところ.今回の政権において「明るく強い国」*7が目指されるなかで,同連載においても「明るい秘書官講座」*8風の事項が追記され,「権力核」*9への考察が追加された内容もまた読んでみたい気もする.

*1:古川貞二郎「総理官邸と官房の研究」『年報行政研究40 官邸と官房』(ぎょうせい,2005年)7頁

官邸と官房 (年報行政研究 (40))

官邸と官房 (年報行政研究 (40))

*2:清水真人『官邸主導』(日本経済新聞社,2006年)376頁

官邸主導―小泉純一郎の革命

官邸主導―小泉純一郎の革命

*3:飯島勲『小泉官邸秘録』(日本経済新聞社,2006年)28〜29頁

小泉官邸秘録

小泉官邸秘録

*4:君塚直隆『女王陛下の影法師』(筑摩書房,2007年)310頁

女王陛下の影法師

女王陛下の影法師

*5:後藤田正晴『情と理 後藤田正晴回顧録下』(講談社,1998年)174頁

情と理―後藤田正晴回顧録〈下〉

情と理―後藤田正晴回顧録〈下〉

*6:脱藩官僚の会『脱藩官僚,霞ヶ関に宣戦布告』(朝日新聞社,2008年)頁

脱藩官僚、霞ヶ関に宣戦布告!

脱藩官僚、霞ヶ関に宣戦布告!

*7:朝日新聞(2008年9月24日付)「「日本を明るく強い国にする」 麻生首相会見要旨

*8:富山県HP「富山県刊行物センター

*9:飯尾潤『日本の統治構造』(中央公論新社,2007年)177頁

日本の統治構造―官僚内閣制から議院内閣制へ (中公新書)

日本の統治構造―官僚内閣制から議院内閣制へ (中公新書)