群馬県伊勢崎市は19日から、市民に不快感を与える恐れがあるとして男性職員のひげを禁止した。同日から職員の服装をクールビズに切り替えるとした通知の中で通達した。総務省は「自治体がひげに関する規定を設けた例はこれまで聞いたことがない」としている。
 市職員課によると、18日、公務員の品位を保持しようと、クールビズへの切り替えを通知した文書の中で、ひげについて「不快に思う市民もいるため禁止します」と記した。これまで休日明けの職員がひげをそり忘れて登庁し、市民から苦情が寄せられたケースもあり、市はその都度、職員に指導してきたが、明文化したのは初めて。罰則は設けていない。
 市は「ひげに関して世論が(寛容に)変わってきているが、公務員は公務員らしくしてほしい」としている。クールビズを推進する環境省は「『礼節を保つ』ということが、ひげの有無まで及ぶのかは何とも言い難いのでは」と疑問を呈している。

本記事では,伊勢崎市職員の服装等に関して紹介.
本記事に紹介されている規程は,現在のところ,把握できず,残念.そこで,同市における「伊勢崎市職員服務規程」を拝読させて頂くと,同規程第19条では「職員は,常に服装を正しくしなければならない」*1と規定されている.同規定を,広義で捉えるとすれば,「時の権力者および権力を与えられたものによって定められた」「服制」*2の一種とも整理ができそう(か).北九州市*3戸田市*4では「前倒し」もされる「クールビズ」という「服制」の緩和的規制の取組.本記事では,「ひげの有無」という新たな規程の整備を報道.
「ヒゲ」といえば,やはり,水谷三公先生による『官僚の風像』.同書では,官僚と「ヒゲ」から,その議論が開始される.まずは,柳田國男を参照されつつ,「役人がヒゲをはやすのは,明治日本が採用した新しい風俗」*5であり,「明治にヒゲが広まる事情の一つは欧化熱」*6であった,とする.そして,その普及の「重要人物」「ファッション・リーダー」が「明治天皇*7.「西洋新知識に基づき,西洋の流儀に従って,日本国の存在を世界に認めさせようとする決意が表わされていた」*8という.ただ,「流行は移り変わる」.「明治が終わり大正デモクラシーの波が欧米から押し寄せ,「官憲」の威勢にもかげりが見えだすと」,「官界のヒゲも徐々に後退しはじめ」*9,その後は,「非常時が叫ばれるようになると,官僚の顔からヒゲがなくなるばかりか,頭からも毛が撤退する」*10.つまり,「坊主刈り」である.戦後は,「主権在民と民主主義の世の中では,ヒゲに象徴される「天皇の官吏」の権力や威信は,選挙民やマスコミの受けがよくないという配慮も働いたのだろう」との分析に基づき,「しばらく経つと,頭髪を復活させ,ヒゲとは縁を切ってしまうが多」*11く,今日までに至る風景を描かれている.
方や現代.「現代的であるとは,過ぎ去る個々の瞬間の流れにおいて,あるがままに自分自身を受け入れることではない.それは,自分自身を複雑で困難な練り上げの対象とみなすこと」*12とは解されるものの,「世評(reputation)」*13への配慮からすれば,自主規制ならぬ,組織的規程を整備するということなのだろうか.考えてみたい.

*1:伊勢崎市HP(市役所の体系(課名で探す)総務部総務課伊勢崎市例規集伊勢崎市例規集)「伊勢崎市職員服務規程」(平成17年1月1日,訓令甲第18号)

*2:刑部芳則『洋服・散髪・脱刀 服制の明治維新』(講談社,2010年)7頁

洋服・散髪・脱刀 服制の明治維新 (講談社選書メチエ)

洋服・散髪・脱刀 服制の明治維新 (講談社選書メチエ)

*3:西日本新聞(2010年5月18日付)「一足早くクールビズ 北九州市、官民挙げ実施

*4:読売新聞(2010年5月18日付)「クールビズ前倒し  戸 田」]」

*5:水谷三公『官僚の風貌』(中央公論新社,1999年)10頁

日本の近代 13 官僚の風貌

日本の近代 13 官僚の風貌

*6:前掲注5・水谷三公1999年:11頁

*7:前掲注5・水谷三公1999年:12頁

*8:前掲注5・水谷三公1999年:12頁

*9:前掲注5・水谷三公1999年:23頁

*10:前掲注5・水谷三公1999年:27頁

*11:前掲注5・水谷三公1999年:29頁

*12:ミシェル・フーコーフーコー・コレクション6 生政治・統治』(筑摩書房,2006年)379頁

*13:Carpenter,Daniel.(2010).Reputation and Power: Organizational Image and Pharmaceutical Regulation at the FDA,Princeton University Press:45.