陸前高田市は10日、東日本大震災で全壊し、解体する市旧庁舎と市民会館のお別れ式を同市高田町の現地で行った。11日で震災から1年8カ月を経る被災地では、更地となったまちでかつての面影を伝えていた大型建築物の解体が始まり、一歩一歩新たなまちづくりが進む。参列者は犠牲となった同僚や家族を思って手を合わせ、どんなにまちが変わっても、決して犠牲者を忘れないことを誓った。
 市職員や遺族ら約300人が参列。戸羽太市長は「職員の尊い命が奪われたことは痛恨の極み。一日も早い復興を目指し、市民一丸で新たなまちづくりを進める」と述べた。市旧庁舎は1958年、市民会館は65年に完成。東日本大震災では市旧庁舎の屋上と4階部分を残し水没した。市旧庁舎屋上に避難した市職員、市民ら約130人が助かった。一方、最後まで避難誘導に当たるなどした職員111人(臨時などを含む)が犠牲となった。
 市旧庁舎は年明けから解体を開始。他の被災建築も一部を除き本年度内に解体する。

 大槌町は10日、町旧役場庁舎検討委員会(委員長・豊島正幸県立大総合政策学部教授、委員11人)の初会合を同町上町の町役場仮庁舎で開いた。職員遺族と現職員を対象に行ったアンケートはいずれも「解体すべき」が「保存すべき」を上回ったが、委員の意見は大きく分かれた。遺族感情の尊重か、震災の風化防止か―。職員40人が犠牲となった旧庁舎の在り方をめぐる難しい決断に向け、全町的な議論が始まった。
 遺族代表や高校生、学識者ら委員9人が出席。豊島委員長が「多様な意見や気持ち、考え方を聞き、共通点を探す思いで進めたい」とあいさつした。アンケートは10月に実施し、職員遺族37人と現職員247人が回答。「保存すべき」と答えた理由は「災害の記憶の風化を防ぐ」が最も多く、「解体すべき」とした理由は「精神的苦痛」や「保存・維持の財政負担」、「観光資源にされたくない」などが多かった。検討委は来年2月までに3回開き、報告書を碇川豊町長に提出。町は本年度末に方針を決める。

両記事では,陸前高田市大槌町における旧庁舎への対応を紹介.
「保存が議論」されるとしても「行政が被災者感情や安全性に配慮し,実現は困難」*1とも解される被災した建物.それらのうち両記事では,旧庁舎への対応を紹介.まず第1記事では,陸前高田市における庁舎を解体予定について,第2記事では,大槌町において,「旧役場庁舎検討委員会」を設けて,庁舎の解体と保存のいずれの方向性について検討を進めていることを紹介.同町の同委員会は,2012年11月11日付の河北新報の報道を併せて確認させて頂くと,11名の委員は,「学識経験者」と「町議会,旧庁舎で亡くなった職員の遺族,大槌高生徒,町役場職員組合の代表」*2から構成されており,庁舎を利用する当事者,被災された方,今後の利用者と幅広く参加されている模様.
第2記事に掲載された同町が実施した職員へのアンケート調査結果を拝見させて頂くと,37名の職員遺族のうち38%は「保存すべき」,49%は「解体すべき」,13%は「どちらともいえない」と回答.また,現職員247名へのアンケート調査結果からも,「保存すべき」が15%,「解体すべき」が56%,「どちらでもない」が29%とあり,総じて「解体すべき」との回答が多いことが分かる.同町の同委員会では,2012年11月11日付の河北新報の報道では「議論内容を広報紙で紹介」され「町民の意見も募る」*3予定という.
2008年12月7日付の本備忘録にて項目立てを試みた本備忘録の断続的な観察課題のひとつである「庁舎管理の行政学」にも,「記録としての庁舎・象徴としての庁舎」の観点も追加しなければならないかと思う,被災後の旧庁舎への対応.今後の検討状況は,要経過観察.

*1:五十嵐太郎『3.11/After 記憶と再生へのプロセス』(LIXIL出版,2012年)243頁

3.11/After 記憶と再生へのプロセス

3.11/After 記憶と再生へのプロセス

*2:河北新報(2012年11月11日付)「旧役場庁舎、保存か解体か年度内に結論 検討委が初会合

*3:前掲注2・河北新報(2012年11月11日付)