先日,双葉町いわき事務所を訪れた.常磐線植田駅を降り,事務所の場所を確認するために,駅前の駅周辺地図を見ると,その地図にはいわき事務所がない.まだ,地図が改訂されていないのだろう.双葉町は,地図にない村のようだ.では,村は失われたのか.お話を伺うと,どうもそうではない.今後整備が見込まれる復興公営住宅を核に,人のつながりと交流が構想されている.地図にも載らず,そして,空間は移動したものの,ここには村が確実にある.そう実感した.
 本書は,福島第一原子力発電所による災害により「自治体丸ごとの避難」(9頁)を強いられた町村(「移動する村」)のあり方を論じる.本書の特徴は,「移動する村の住民の「シティズンシップ」を「保障する道」(12頁)を示した点にある.そして,「移動する村」に帰還でも移住でもない「待避」(147頁)という選択を提示する.それは,「空間なき市町村」(163頁)となっても,「地域住民の自己決定」(203頁)がそこにあれば,自治があるという確たる現実からの提案でもある.
 では具体的にはどのように「待避」し続けるのか.本書は「二重の住民登録」(133頁)という制度提案をする.とはいえ,その実現には大きな争点がある.それは,住所が一つであることを前提に組み立てられた既存の制度との整合性である.特に「選挙と課税・納税の問題」(189頁)である.しかし,本当か.本書では「住民は一つである」とは「フィクション」(179頁)であると喝破する.そして,選挙や住民税,年金のいずれの制度の実務上からも実現可能な提案であると述べる.
 「私たちの心身に「住所は一つ」という観念が染みついている」(164頁)ことへの問いを探求する本書.読み進めると,本書は,数多く公刊されてきたいわゆる「震災モノ」の範疇では,決して止まるものではないことに気づく.むしろ,本書では,自治とは何か,自治体とは何か,分権とは何か,そして,住民とは一体何かという,根源的で深淵な問いを投げかけてくる.そのため論争的である.しかし,手に取れば必ず自治の本義を考えさせられる,良書(購入後,もう3回は読みました).
 なお,本書でなるほどと思った箇所は,次の指摘.災害のもとで「逃げなかった.逃げられなかった」(100頁)市町村がとった,「自治体の使命」(212頁)を優先する自己決定の姿がよく分かる.

必要に迫られたとはいえ,大部分の市町村では,国からに避難指示に拘らず,住民の安全と避難生活の維持を考慮し,国よりも早く,また国の示した同心円状ではなく地域単位で避難指示を出した.このことは高く評価されてよい.ここには「国待ち」「国任せ」の姿勢が見られない.」(41〜42頁)