図書館はだれのものか.公共施設の一つであれば,多くの人々のための空間であろう.理屈はそうだ.実際はどうだろう.これまでに利用する人,関わってきた人で占められているのではないか.つまり,開かれた空間であるはずが,感覚的な敷居がそこにはあるようでもある.敷居をこえられない人々には,やや言葉が強いかもしれないが,他の誰かに占有された空間としての感覚をもちがちである.そのため,足を踏み入れることがなくなる.多くの人々に開かれているからこそ,誰かが使い,その結果,限られた人が使う空間となっていく.公共空間特有のディレンマが図書館にもある.
 では,公共施設として図書館をより多くの人が利用するには,どうすれば良いのだろうか.武雄市での図書館の取組は,「利用者視線」(206頁)に立ち,見えない敷居をまずは取り払うことに苦心する.本書は,様々な敷居を外していくプロセスが描かれる.新しい図書館では,これまでの利用者と関わりをもつ人々はもちろん,これまでに利用していなかった人々を呼び込み,図書館という空間を堪能する.なるほど,次の指摘のような図書館の開き方を描く本書は,他の公共施設の開き方を問いかけてくるようでもある.

静かさを求める利用者,子どもにクレームが来ないかびくびくするお母さん,お父さんの利用者,両方が共存できる図書館に今は生まれ変わった.今の武雄市図書館は多様性と寛容性を認める空間になっている」(162頁)