国の文化審議会馬渕明子会長)は20日、景勝地として知られる福山市鞆町地区を重要伝統的建造物群保存地区に選定するよう林芳正文部科学相に答申した。年内にも答申通り選定される見通し。
 鞆町地区は、万葉の時代から「潮待ちの港」として知られ、海上交通の要衝として栄えた。保存地区は、廻船業の中核を成した西町、関町を中心とする約8・6ヘクタール。江戸中期までに整えられた地割りの上に、町家や寺社、港湾施設が一体となって良好な形で残っていることが評価された。
 地区内には、酒造業で栄えた商家の遺構で国指定重要文化財の「太田家住宅」と別邸「朝宗亭」をはじめ、朝鮮通信使が宿泊した福禅寺対潮楼(国史跡)などがある。港には江戸後期〜明治期に整備された石段状の船着き場「雁木(がんぎ)」や石造りの灯台「常夜灯」が残っており、往時の面影を現在に伝えている。
 答申通り指定、選定されれば建造物の重要文化財は2480件(うち国宝225件)、重伝建は117地区となる。広島県内の重伝建地区は呉、竹原市に続き3カ所目。
 福山市教委は2000年に重伝建の選定申請に必要な保存計画策定に着手した。その後、市は重伝建選定と広島県鞆港の埋め立て・架橋計画の一体的推進を打ち出し、「住民の生活か、景観か」で地元の架橋計画への賛否が割れ続けたため、いったん断念。県が昨年2月、計画を白紙撤回したのを受け、選定の申請準備を進めていた。

激しい議論経て実現
 福山市鞆町の重伝建選定は、地区を二分した鞆港埋め立て・架橋問題で一時“棚上げ”になるなど紆余(うよ)曲折を経て、最初の調査から40年余りでようやく実現した。近世港町の風情を残す町並みの保存整備に弾みがつき観光振興への期待も高まる一方、維持・活用には住民の協力が不可欠だ。官民が連携して将来像をどう描くかが問われる。
 重伝建選定に関連した動きは1973年、文化庁から伝統的建造物集中地域としてリストアップされ、始まった。75年には全国10カ所の調査補助対象地域の一つに選ばれ、最初の町並み調査が行われた。
 ところが83年、広島県により鞆港の埋め立て・架橋計画が策定され、歴史的景観の保存と、生活の利便性のバランスをどう取るか、住民の意見が割れた。2016年2月、県による埋め立て・架橋計画の撤回まで凍結状態に陥った。
 福山市教委は文化庁に提出した保存計画で、江戸期から昭和30年代の建物や塀など290件のうち、所有者から同意を得た229件を歴史的価値の高い「特定建造物」とした。同建造物は税制面での優遇措置や補助制度を受けられるが、建物の外観変更には市の許可が必要になる。同意を得られていない残り61件は、所有者がこうした制限を嫌ったり、高齢化で保存や維持を望まなかったりしたという。
 先に選定された倉敷市美観地区では、2006年に設立された住民グループが行政と一緒に電線地中化などを進めた。重伝建に詳しい渋谷俊彦山陽学園大教授は「住民と行政が連携し、古い町並みの魅力にさらに磨きをかけ、将来にわたって維持していく機運の盛り上げが重要」と指摘する。

本記事では、福山市に対する重要伝統的建造物群保存地区の選定について紹介。
文化庁に設置されている文化審議会文化財分科会では、2017年10月20日に「福山市鞆町伝統的建造物群保存地区」と「杵築市北台南台伝統的建造物群保存地区」の「2地区」を「重要伝統的建造物群保存地区」と「選定」する答申を「文部科学大臣に答申」*1。「群」として「保存」*2された同地区。今後の保存と活用も要観察。

*1:文化庁HP( 広報・報道・お知らせ報道発表)「重要伝統的建造物群保存地区の選定について

*2:安本典夫『都市法概説第2版』(法律文化社,2013年)157頁

都市法概説

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