バクチと自治体 (集英社新書)

バクチと自治体 (集英社新書)

題名から抱く印象に反して,内容は,自治体財政の観点に比重が置かれた公営ギャンブル論.
第1章,第5章では,累積赤字に直面する公営ギャンブルの現状分析と今後の公営ギャンブルのあり方に関する問題提起.第2章から第4章では,競馬,競輪,競艇オートレースそれぞれの誕生と,普及とその功績,そして撤退をめぐる一連の歴史的変移を,中央地方関係,省庁間対立,個別自治体,政治と行政等のそれぞれの視点から,新書という制約された分量のなかで,手際よく焦点が絞られて描かれている.下名個人的には,戦後自治財政史の一断層を知ることができ,大変勉強をさせていただく.特に,戦後の「破綻寸前状態」からの「改善し,財政に寄与する目的で誕生した公営ギャンブル」(67頁)に対して「存廃をめぐる論議」が生じ,これに対して,それぞれを所管する各省から距離を置き,いわば内閣主導による審議が行われたことや,しかしながら,その結果である『長沼答申』(96〜99頁)の反作用ともいえる競馬法改正と特別区からの反発,自治省による公営ギャンブルを通じた収益の均霑化構想の流れは,確保する利益をめぐる省庁間対立の構造として読むと,行政観察上も興味深い.
以前,美濃部自身の回顧録を拝読した際に,東京都の公営ギャンブルからの撤退に関して,「思えばギャンブル廃止を手がけたころは,都の財政状況がまだまだ良い時であった.今日,百億円の減収となれば,福祉などの行政サービスは低下させねばらなず,都民への迷惑を考えると,あるいは廃止に踏み切るのが難しかったかもしれない.あの時に断行していてよかった,とつくづく思う」として,「ギャンブルをやめて数億円の財源を失ったこととなる.膨大な赤字を抱える都財政を眺めて後悔しないかとよく聞かれる.しかし,どんなに苦しくても,都民のためにならず都民を苦しめる財源に頼らないで済むということは,この上なく爽快である」*1との感想的な記述に出会い,その後,東京都が直面する財政状況を思いめぐらしつつも,果たして同期の歳出と均衡しうる別種財源を確保したのか,又は,歳入に見合う歳出に制したのだろうか,と思ったことを思い出す.ただ,同書に描かれる,公営ギャンブルの収益減少(152頁)にあり,地方競馬をはじめとして「累積赤字を膨らませ続けて,結局は廃止するしかなかった」(194-195頁)状況にある全国的な公営ギャンブルの現況からすれば,結果的には,「早期」の「撤退」は一つの選択としては意義はあったとも考えられなくもないか.
本書では,最終的には「公営ギャンブルの民営化」(197頁)と大胆な提案がなされているが,公営ギャンブルが直面する現況を考えるうえでは意義ある一冊.

*1:美濃部亮吉都知事12年』(朝日新聞,1979年)64頁