東日本大震災を後世に伝える遺構として、保存の是非が議論されている宮城県南三陸町防災対策庁舎について、県が震災から20年が経過するまでの間、県有化する方向で検討を進めていることが分かった。43人が犠牲となった防災庁舎をめぐっては、遺族や住民の間で「保存」「解体」の意見が分かれている。結論が出るまでに一定期間を設け、町の負担軽減のため、県が主体的に維持管理する必要があると判断したとみられる。
 県が防災庁舎の県有化を検討しているのは、2011年3月11日の震災発生から丸20年となる31年3月10日まで。今月中にも、県が町に打診する見通しだ。県有化によって猶予期間を設ける背景には、被災した直後は保存か解体かで議論が分かれた世界遺産原爆ドーム広島市)が、後に保存されるに至った経緯があるとみられる。ドームは原爆投下の1945年から21年後の66年、広島市議会が「原爆ドーム保存を要望する決議」を可決。同市はこれを受け、保存にかじを切った。昨年12月まで議論を重ねた県震災遺構有識者会議(座長・平川新宮城学院女子大学長)は、防災庁舎を「世界的に最も知名度が高い東日本大震災の遺構」などとして「保存する価値がある」との総合評価を示した。
 一方、有識者会議は住民の意見が二分している現状を考慮し、時間をかけて保存の是非を判断する必要性も指摘している。佐藤仁南三陸町長が13年9月に解体を表明している経緯も踏まえ、委員からは「時間をかける場合でも、町の苦労を長引かせてはならない」「県など第三者が関与すべきだ」との意見が出た。村井嘉浩知事は昨年12月18日の有識者会議の最終会合後、報道各社の取材に「できる限り有識者会議の意見に沿うよう汗を流したい。県の関与も視野に入れ検討する」と話していた。
南三陸町防災対策庁舎]鉄骨3階、高さ12メートル。東日本大震災で15.5メートルの津波に襲われ、骨組みだけ残った。佐藤仁町長は2013年9月、町単独では保存経費が重荷になることなどを理由に解体を表明。同年12月、県が震災遺構有識者会議の検討対象に防災庁舎を加え、解体は実質的に保留されている。現在は施設、土地ともに南三陸町が所有している。

本記事では,宮城県における震災遺構の検討方針を紹介.
同県では,2013年12月に「震災遺構有識者会議」*1を設置し,9つの施設を検討.2014年12月18日に開催された同会議の最終回となる第7回の同会議の審議結果は,同年同月19日付の同紙*2で報道されたなかで,本記事では「震災遺構として,ぜひ保存すべき価値がある」とし取り分けて重要な価値がある」*3との評価に至った「南三陸町防災対策庁舎」に関して,「県有化する方向で検討を進めている」ことを紹介.「費用」という「大きなハードル」*4への同県による関与も検討されている模様.今後の検討状況は,要経過観察.