• 中西啓太「日露戦後における内務省地方局市町村課と地方行政機構―「自治省から移管された旧内務省文書」の分析から―」『史学雑誌』第122編第10号,2013年10月,39〜60頁.

本日は,同論攷.これは面白い.
本論攷では,国立公文書館に保管された「自治省から移管された旧内務省文書」のうち,二つの文書を分析する.その二つとは,同省地方局市町村課による『伺照会』と『課中意見』.前者は「ほとんどがカガミを持つ決裁文書」(41頁)を収録し,後者はむしろ「いずれも決裁に至っていない」(50頁)文書が含まれる.
では,この二つの文書から何が分かるのか.
例えば,前者の文書への分析からは,各決裁文書の作成は必ずしも内務省からの片務的な解釈が提示されているわけではなく,むしろ「地方からの照会への応答など,双方向的な連絡から生まれている」(47頁)ことが分かる.そう,現代まで続く制度運用をめぐる行政実例という先例のつくり方を明治38年頃に既に見て取ることができるのである.
本論攷の魅力は,「通牒行政」を支える「行政実例」の生成システムの発見に止まるものではない.後者の文書の分析がさらに魅力を増す.つまりは,後者の分析からは内務省(による行政)と市町村と間での制度運用をめぐる相互依存性の動態がよく分かるのだ.この点は,本論攷をさらに興味深くしている.
『課中意見』に含まれる文書の「大半は問合せ」(47頁)とその回答であり,そして,上記の通り決裁文書ではない.そのため『伺照会』が組織としての公式な見解の先例となる文書とすれば,『課中意見』は「優れて1回的な回答」として「組織としてではなく個別的に行なわれた回答」(52頁)である.
このような個別質問に対する個別回答で,当時の内務省はどのように答えたのか.回答文書からは「公然照会シ来ラサル以上ハ必スシモ之ヲ断定シ置クヲ要セス」(52頁)と述べ,回答する.つまり,上記の『伺照会』に収録されるような公式な問合せではない場合には,行政実例化された「規制力を発揮する公式見解とは一線を画す」「柔軟な対応」(53頁)をしばしばとることが分かる.
このように本論攷では,内務省と市町村との間に存在した,公式な照会という経路と「非公式な連絡」(54頁)経路という重層的な情報経路を明らかにする.では,なぜ二つの経路があるのか,と考えてみたときに,次の指摘からはなるほどと思いました.

「通牒行政」を支え,規制力を発揮する公式見解としては提示し難いような,法解釈の厳密さよりも地方の便宜を重視する,極めて柔軟な法の運用に基づく回答がなされていた,」(54頁)