町田市の旧白洲次郎邸と観光協定 長女の牧山桂子さん「子どものころの、町田の原風景を残したい」(東京新聞2023年3月10日)

終戦直後に連合国軍総司令部(GHQ)との交渉役だった白洲次郎(一九〇二〜八五年)と、随筆家の正子(一九一〇〜九八年)夫妻が暮らした東京都町田市能ケ谷の「武相荘(ぶあいそう)」の保全や情報発信のため、市は九日、運営会社「こうげい」と観光連携協定を結んだ。市によると、武相荘には、音楽やエンターテインメント事業の「ポニーキャニオン」と服飾販売の「ビームス」も今年一月末から運営に参画しており、市もPRに協力する。
 白洲次郎は戦後、首相の吉田茂の側近として、日本の復興や講和独立でGHQと折衝し、憲法改正通商産業省の設立などに尽力した。正子は樺山伯爵家の次女で、戦後は骨董(こっとう)収集や文筆活動などで知られ、町田市の名誉市民にもなっていた。
 武相荘は元養蚕農家の建物。白洲夫妻が一九四三年、敗戦と食糧難を見越して農業を始めようと、都心から移り住んだ。名前は、旧国名の武蔵と相模の境界に近いことに由来し「無愛想」の意味もかけている。市の史跡に指定されている。
 二〇〇一年に記念館としてオープンした。竹やぶなどに囲まれ、母屋の外観はかやぶき屋根の農家だが、内部は白いタイルが張られるなど和洋折衷になっている。夫妻の日用品や収集した陶器などが展示されている。
 こうげいは夫妻の長女の牧山桂子さん(82)が代表取締役。夫の圭男さん(84)が記念館の館長を務める。二人の高齢化もあり、長く武相荘を維持するためにも、両社と業務提携契約を結んだ。両社は、イベント開催やグッズ制作などを想定している。
 石阪丈一市長や両社の社長とともに記者会見した桂子さんは「白洲夫妻の関係よりも、今の町田に少なくなってしまった子どものころの原風景の環境を残したい」と話した。(宮本隆康)

本記事では、町田市における協定締結の取組を紹介。

同市では、同社との間で、2023年「3月9日」に「観光連携協定」「締結」*1。同協定に基づき「武相荘を基点とした観光振興並びに次世代に対し持続可能な施設の運営及び保全等を行い、地域のより一層の活性化及びシティセールスの向上」*2の取組を開始。

「公-民協定(縦型協定)」*3に基づく同取組。同協定に基づく具体的な活用状況は、要観察。