2010年4月26日付の河北新報*1において紹介され,同年同月同日付のtwitter(参照,Twilog)にも記録した本書.手元に届いたため,早速購読.
「東北地方の太平洋に面した農業県」であり,「面積的にはほぼ四国と同じ」規模をもち,「経済的な面をみれば東北では六県中四位,全国四十七都道府県中三十位代の後半で四十位に近いランク」にある「I県」(9頁)が本書の舞台.本書は,大きく分けると2つのテーマがあり,第1章から第3章にかけての前半部分では,「I県」が「昭和四十六年に設立された第三セクター」である「みちのく振興」(13頁)の解散と債権放棄を巡る県庁内での協議・審議過程,4章から第6章までの後半部分では,現知事の「健康問題」(179頁)に伴う,「次期の知事候補」者の選定過程を描く.
本書,2008年7月24日付の本備忘録にて紹介した,いわゆる,「自治体(行政)再建もの」である,楡周平さんの『プラチナタウン』,そして,荻原浩さん『メリーゴーランド (新潮文庫)』の両著がもつ,ユーモアと軽やかさは,抑制気味であるものの,上記記事にて紹介されているように,作者の職務経験等も反映されているであるのだろうか,自治体行政機構内部における協議・調整の場の風景,そして,そこに見られる「不作為」(248頁)とその苦悩の蓄積に基づく意思決定過程を厚みを持って描写されている.そのため,「自治は地方の政治と云わむよりは寧ろ,地方の行政と言わなければならぬ」*2との見解に反して,同書を通じて,「自治」とはまさに「地方の政治」であることを考えさせられる.
下名個人的には,2009年10月23日付の本備忘録にて記した,下名の中心的観察課題である「自治体内会議体」の観点からも,特に第2章における「みちのく振興」の解散と債権放棄を巡る「政策会議」の風景は,大変,興味深く拝読.本書では,「I県」では,「庁議」との名称を置く会議体と「政策会議」との名称をもつ会議体の「複層式」*3の「庁議制度」を採用されている.「I県」の場合,「政策会議は県の重要な政策を決定する会議」(79頁)として位置付けられてはいる.しかし,その実は,「報告のみで,すぐ終わる」(8頁)「庁議のついでに政策会議を開催するくらいの時間があれば決定できる程度の政策」(79〜80頁)を扱う場として用いられており,「大体は定例の庁議の後に引き続き開催されること」(79頁)であった.
そのような位置付けにある「政策会議」では,上記の「みちのく振興」の解散と債権放棄に関しては,「午前いっぱい」の時間を確保し「わざわざ単独で開催」(80頁)される.これらの審議形態の描写からは,返って,都道府県レベルにおける同会議体がもつ特性を考える機会を提供されているようでもある.つまり,「I県の政策会議の案件は大部分はなんらかの形で国のひもつきの政策であった」(92頁)ことや,その発言者の結果から「政策会議は地方省対財政省の対決になってしまった」(同頁)との記述からも窺うことができるように,都道府県レベルにおける同会議体において審議される内容とは,必ずしも,都道府県で完結する事案に止まらない様子(恐らくは,庁議と政策会議の事案の振り分け)が分かる.更に,意思決定に関する会議体において,情報の質・量の観点から「I県」が「陸の孤島」(141頁)となるような判断に至らないように,中央府省から「出向」された職員を通じた情報提供の機会(本書の場合は,金融市場に関する情報(専門的知見))がもつ効果をも窺うことができ,都道府県レベルにおける「自治体内会議」を考えるうえでも,非常に参考となる.
もちろん,本書では,上記のような「公式」な会議体の風景を描くものではない.むしろ,「堀川」「スナックばら」「焼き鳥虎さん」「のらくろ」等の庁舎外での飲食店で(夜な夜な)行われる,「非公式」な会議体での情報交換の有効性をもあわせて描かくことで,協議・調整の風景の厚みを増している.
1990年代までの自治体の風景を読み取るには,非常に有益な一冊.

*1:河北新報(2010年4月26日付)「元岩手県幹部が初小説 経験ヒントに公務員の生態描く

*2:瀧井一博『伊藤博文』(中央公論新社,2010年)183頁(同書は内容はもちろん,伊藤博文が行った演説等の各種引用部分が痛快に楽しい一冊でした)

伊藤博文―知の政治家 (中公新書)

伊藤博文―知の政治家 (中公新書)

*3:松井望「首長と事務機構−首長の意思決定機構を支える仕組みとしての庁議制度−」『都市とガバナンス』Vol.12,2009年9月,24頁

都市とガバナンス 第12号

都市とガバナンス 第12号