75年間歌い継がれてきた足利市歌が、4月から変更されることになった。歌詞に「煤煙み空をおほい」などの表現があり、「時代にそぐわない」との声が前々から出ていた。市制90周年記念事業の一環として市民愛唱歌「われらのまちに」を新たな市歌にすることで、長年の見直し論議が決着した形だ。
 足利市の仕事始め式が4日、市役所玄関前で行われた。新入職員の指揮に合わせ、全員で市歌を斉唱するのが恒例だ。2番の歌詞に「煤煙み空をおほいはすれど 曇らぬ心に親しみ交し」とある。「環境の時代に、やはり合わないですかね」。高らかに歌い終えたある職員がつぶやいた。市歌は昭和天皇が1934(昭和9)年、陸軍大演習で足利に行幸したことを記念し、翌35年に制定した。「至聖の殿堂 稀世の古典 戦塵揚がれど 学徒は集ひ」と歌い出す。時代風景は確かに現代とかけ離れている。最初に市歌の見直しが持ち上がったのは、市制50周年(1971年)だった。当時を知る元市職員によると、全国で公害が問題となり、「煤煙」の歌詞に違和感が出たという。60周年で「市民に親しまれる歌の検討専門委員会」を設置。「市歌は歴史的な重みがありメロディーも素晴らしいが、定着しているとはいえない」として、市民に親しまれる歌を別に制定することにした。市民から公募した歌詞に「さくら貝の歌」などで知られる作曲家八洲秀章さんが曲を付け、市民愛唱歌「われらのまちに」が誕生した。80周年でも新市歌が検討されたが、実現しなかった。
 今回は、大豆生田実市長や商工会議所、文化協会など各団体で構成する「90周年記念事業実行委員会」で見直しを進めた。(1)新しく作る(2)歌詞だけ見直す(3)市民愛唱歌を市歌にする−との3案を検討し、浸透してきた市民愛唱歌を新たな市歌にすることに決めた。市女性団体連絡協議会は市民愛唱歌を毎年の総会で斉唱しており、小林静子会長は「親しみやすく歌いやすい」と印象を語る。愛唱歌に振りを付けた中高年向け「元気アップ体操」もある。市歌を所管する市経営管理課は「広く普及させることが課題。たくさんの市民が歌えるようになってほしい」とする。市内の音楽団体に協力を求めてCDを制作し、小中学校などに配布したり市民に貸し出す計画だ。
 「市歌論争」に終止符が打たれたとはいえ、歌には市民各自の思いがこもる。「時代にそぐわなくても残すべき」との声も根強い。市は4月以降、「旧足利市歌」として市ホームページに掲載し、歌に刻まれた歴史を顕彰することにしている。

同記事では,足利市における市歌変更の方針について紹介.現在の市歌に関しては,同市HPを参照*1
本記事でも紹介されているように,同市歌は「昭和9年昭和天皇行幸を記念」し「昭和10年11月16日に制定」.「市制90周年記念事業」の一環として,同市歌よりも,現在は,いわば「コミュニティソング(共同体歌)」*2的に,口ずさまれてきた「市民愛唱歌「われらのまちに」」を平成「23年4月1日から新たな市歌」とされ,現在の「足利市歌は「旧足利市歌」」*3と位置付けられる模様.2008年8月18日付2009年6月21日付2010年5月24日付の各本備忘録でも触れた,ある「自治体歌」(と,下名が勝手に呼んでおりますが)が「共有される理由」*4を考えさせられる取組.

*1:足利市HP(組織でさがす経営管理課)「足利市の市章・市歌

*2:渡辺裕『歌う国民―唱歌、校歌、うたごえ』(中央公論新社,2010年)46頁

歌う国民―唱歌、校歌、うたごえ (中公新書)

歌う国民―唱歌、校歌、うたごえ (中公新書)

*3:足利市HP(組織でさがす広報広聴担当)「市長定例記者会見(平成22年11月)

*4:斎藤純一『政治と複数性』(岩波書店,2008年)61頁

政治と複数性―民主的な公共性にむけて

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